福岡県の小石原村に400年の歴史を誇る小石原焼。かつては黒田藩の御用達窯であり、飴色の一升徳利などを作る民衆の窯でもあった。この地の土は鉄分が多く、それが飴色になり、また白の化粧土にもなった。大正時代になると、その肌にとびがんなで文様を施すようになる。振り子の大時計のぜんまいを用い、ろくろの回転を利用すれば数秒で仕上がる文様である。
小石原村に窯を持つ太田さんの作品も、とびがんなの文様を効果的に施したもの。今回の浅鉢には、全体に入れるとしつこいので、部分的に入れてみた。
二重高台もデザインポイントのひとつ。本来は大皿の高台が一重だと焼いた際に中心が下がってくるのを避けるためだったらしい。この器も1260度にまで温度を上げるので、二重にしてみた。さらに、このために器の中底に二重の窪みができてここに釉薬がたまり、色が濃くなって、これもポイントとなった。
この器の魅力は、瑠璃色にもある。青磁色とは異なり、またペルシャやトルコの青とも異なる太田さんの瑠璃色。この色を出すために釉薬の調合に苦心を重ねた。派手過ぎると和食に合わず、黒っぽくなり過ぎると、とびがんなの文様が見えなくなる。3回目にしてやっと、この色が出たのである。
従来の日本の器には珍しい形だが、これは10年前にイギリスとスペインに留学して焼き物を学び、食文化の違いを身をもって知ったからだ。洋食がかなりの割合を占めるようになった日本のテーブルだから、器も変わらざるをえない。いわく、この器なら「和食はもちろん、パスタにもカルパッチョにも合うはず。フラワーアレンジメントの水盤にも使ってほしい」。
しかし、海外に出て初めて日本の伝統文化をも見直すことになった太田さんである。長年培ってきた自分の技こそが、世界に通じる、インターナショナルである、とも気づいた。
だから今、小石原の土と小石原の原料で作った釉薬にこだわる。
藁を焼いた灰と、窯で焼いた薪の灰を調合した釉薬である。
こうして作り続けた結果、3年前にトリノのビエンナーレで、とびがんなの器が大賞をとる。太田さんの挑戦が間違っていなかった証であり、世界に認められた成果でもあった。





